風光明媚な島で、牛を育み母として暮らす
日本海に浮かぶ島根県隠岐諸島。島前と島後で構成される群島の一つ・西ノ島は高さ257mの摩天崖や国賀海岸といった豊かな自然を有し、日本で唯一牛の昼夜放牧がされる牛の島という顔を持つ。
本州から大型フェリーや高速船で別府港に到着し、島内の山間の道を車で巡った先で眼の前をノソノソ歩く牛の姿に驚くしかない。
「いや、こんなの当たり前ですよ〜 これで驚くようじゃ島に住めないですよ(笑)。私たちにとってはいつものことなんです」と話してくれたのは小松倫世さん。
同じ隠岐諸島・島後の隠岐の島町で肥育牧場を営む家の長女として生まれ、現在はご主人と子どもたちと共に日々の生活を愉しみながら、カフェ・ゲストハウス運営、和牛5頭の繁殖農家としてこの島に暮らす。
<小松倫世さん・プロフィール>
島根県隠岐郡五箇村(現在の隠岐の島町)出身。
幼少期を実家の牛の世話や稲作農業に携わりながら過ごす。看護師としての活動を経て、出産を期に2008年に隠岐へUターン。
2009年西ノ島に移住。福祉施設併設の保育園で働きつつ、自家菜園や牛飼いといった手づくりの暮らしを追求。子どものための地域づくりを考え続ける中で、島に点在する資源や人の手で培われてきた伝承食文化といった島の魅力を伝えることを決意。
「私の実家は牛の肥育牧場で、ここで生後2年半から3年程度になるまで育てて、市場に出荷するまでが仕事なんです」と語るように、今も静岡生まれのご主人とともに島の一角で放牧牛の世話をしている。
「小さいときから牛の世話や農業の手伝い、あるいは実家の会社で働く社員の方たちに、母が料理を大量に作る姿を見ていました」
今、子育てにも励む母親としての倫世さんの目に映るのは、幼き日の母親の背中。だから料理が何よりも大好きになった。
島外に出て看護師として活動していた倫世さんは結婚を期に島にUターン。道を歩けばコンビニに当たる都会の環境とは真逆の島だからこそ、「市販のスナック菓子よりも自家製のお菓子を食べてほしいので、自分でケーキを焼いたりしてますよ」と手作りの味を大切にしている。
食文化の伝承拠点は、島の集いの場
隠岐で生まれ育った倫世さんが島外に出て感じたものは、西ノ島に培われてきた資源や、人の手で培われて伝承されてきた食文化といった島の魅力。それを多くの方に伝えたいと決意するのは、倫世さんにとって当然のことだった。
「隠岐に戻って牛を育てながら色々な仕事をしているうちに、『それをどのように実現すべきか?』とやり方を考えていたんです。そんなタイミングで私が暮らす大山地区の集会所として使われてきた建物を、借りることができたのは大きな転機でした」
島の最高峰・焼火山(たくひさん)の麓に位置する大山地区で100年近く使われてきた古民家。そこは人が集うにはうってつけの場所だった。
「古民家を改装してカフェのように気軽に多くの方が立ち寄ってもらえる場所を作り、そこで伝承料理のワークショップもしよう!と決めたんです。『あ、あの集会所を使うんだね。がんばってね』って、特にここに暮らすお年寄りの皆さんに声をかけてもらったことがすごく嬉しかったですね」
高いモチベーションで取り掛かったリノベーションは「天井を剥がしたり、床板を貼り直したり。家族総出で取り組んだんですよ」と約8ヶ月に渡り、2018年4月に夢の拠点となるお店<TAKUHI.>がオープン。「この地区への敬意を表したかった」という店名の下には-Cafe&Lifestyle-というコンセプトワードが付されている。
「大山地区をはじめ、西ノ島の魅力を多くの方に知ってほしいのはもちろんですが、特に島の暮らしぶりに触れてほしかったんです」
「大工さんが『立派なものが残っている』と驚いていた」という外観の模様を目印に中に入ると、高い天井と「集会場の囲炉裏の場として使っていた」という囲炉裏がお出迎え。「火は入れてないんですけどね(笑)」と話すが、その存在は人が集う場所としての使命のシンボルとして、静かに燃えているかのようだ。
店内の大きなテーブルや座布団、料理を盛り付けるお皿などには、「古民家にあった建具とかで使えるものはそのまま使って、このお店を始めることが決まったときに『もしお店で必要だったら使ってほしい』と集まったものを使っているんです」と、島に暮らす人々が共に長い時間を過ごしてきたものが使われている。
いわばここは島のリビング。だから居心地よく、すぐそばにある大山の海を眺めていると時間を忘れてしまう。そんな空間で供される料理の食材は、島どれの魚や野菜、お米が中心となっている。
「海で釣った魚や畑で採れた野菜、あるいは山に生えているしいたけだったり。島の食文化は他の食材を使わないことで培われてきたものです。そうした食材を中心に料理を作って提供することがお店の役割です」と語る。
もちろん料理に欠かせない加工品もお手製だ。
「例えば梅干しはみきこおばちゃんから習ったもの。島の料理の先輩に教わりながら色々と作っています」
四季折々の食材に一番明るいのは地元のお母さんたち。そんな食材で家族のために作るごはんが一番おいしい。島の家庭の味に価値を見出しているからこそ、作り方を習って一つ一つ丁寧に加工品を作っている。
その一方で「元々、実家で栽培しているハーブを使ったハーブソルトという商品があるのですが、今この島や島後で採れる山椒を使った塩を開発中なんです。お茶も島で古くから飲まれている『くろもじの花茶』を作っていて、喜んでいただいてます」と、新しいチャレンジも欠かせない。
古き良きものの価値を見出し伝えつつ、島にとっての新しい活力の源となる商品も開発する。そんな倫世さんが一番大切にしている郷土料理がある。
島生まれ、食卓育ち。それが西ノ島の「なめ味噌」
それがこの『なめ味噌』。ごはんに合わせたりそのまま食べたり、島に古くから伝わる万能食品。
「島の板脇おばちゃんから作り方を教わったもので、材料は大豆、麦、お米が混ざった、なめ味噌用の味噌麹を使っています。」
主役は「島内で唯一」という田中こうじ店の味噌麹。中身がズッシリ入った袋は独特の香りを持ち、これをみりんや砂糖などで味付けを施して発酵させる。
「季節によって違うのですが、夏の温かい時期なら7〜10日ほどで、冬場だったら一ヶ月ほどかかります。大切なのは自分のタイミングですね。今はオリジナルとして島の先輩から基礎を学んだ味を、砂糖の加減を変えたりして自分の味にしているところです」
作り手によって調味料の分量や寝かせ加減は人それぞれ。そして、家によって味が違うからこそ面白い。なめ味噌は画一的な加工品が多い現代の食文化に対して、人によって生きる物であり、人が生かされる存在であることを教えてくれる。
「なめ味噌はそのまま食べても美味しいものですが、お店のランチに出す唐揚げやトマト煮の調味料に使ったりもしています。こうして使うこともできるし、やっぱり食卓に欠かせない存在ですね。このおいしさを多くの方に知ってほしくて、カフェを始めたようなものなんです」
受け継がれてきた味の魅力を、時代に合わせてしなやかに使いこなす。倫世さんのセンスによって、伝承食文化に新しい表情が生まれる。それに会えるこの場所は食文化のメディアのような存在となっている。
島の食卓が凝縮された「今日の島ごはんプレート」
そんなお店の目玉料理は『今日の島ごはんプレート』。島の伝承料理をはじめ、野菜や魚、お米で構成される日替わり定食だ。
「島で暮らしているとシイラやあじ、いわしといった魚や野菜が採れる。日々変わる食材で作る料理は、私たちは毎日の食卓で食べるもの。そんな普段のごはんを食べてほしいと思っています」
魚のフライの周りには、島の海藻『あらめ』を使った煮物や、野菜の煮物、炒めもの、そして「田中こうじ店の米麹を加えている」という漬物がワンプレートに盛られている。お皿を彩るあしらいも、お店の周りに生えている植物だ。
どのおかずもあっさり目の味付けで素材本来のおいしさが引き出されており、一口ごとにその力強さが身体に染み込んでいくよう。野菜がおいしい、魚がおいしい。それがあたりまえに存在する環境。島ごはんプレートにはそんな島の魅力が詰まっている。
「例えば、この地区特産のしいたけをフライに使っていたりもしますが、それは島が作っている方が『これ使ってね!』って感じに置いてったりもするんです」と、生産者にとってもTAKUHI.は集会場となっているのだ。
もちろん、そんなプレートになめ味噌が欠かせない。おにぎりの上にチョコンと乗せて頬張れば、ごはんの甘さをギュッと引き締めるまろやかな味噌のおいしさに惚れてしまう。
だから咀嚼が自然と増える。噛めば噛むほどにおいしさが膨らんでいくからだ。そして、ごちそうさまの言葉を発すれば、お腹はもう島の食文化で満たされている。
もちろん、牛飼いの家ということで美味しい牛肉の料理も味わえる。マイルドな辛さが旨口のソースに溶け込む『放牧牛のカレー』はもちろん、「放牧牛のハンバーグプレートも日替わりで出すこともあって、これも人気なんですよ」とのこと。
元々、コーヒーが飲める喫茶店的なお店はあれど、木のぬくもりと居心地の良さが同居したこうしたカフェがなかった西ノ島。オープン以来、ランチタイムには若い女性が多く訪れる…と思いきや、
「お店にはおじいちゃん・おばあちゃんが来ることが多かったり、島内の工事で長期間滞在する方が来たり、開業前に考えていたお客さんの層と全然違う方に来ていただいて正直驚いてます」
と、老若男女問わず色々なお客さんが足を運ぶ。思えば昔からここは集まって楽しい時間を過ごしていた場所。だから訪れる人はみんな笑顔になって、それがよく似合う。
お弁当、カフェ、ゲストハウス。3つの顔で島の魅力を伝える
そんなTAKUHI.はカフェだけなくお弁当屋さん、そして一日一組限定のゲストハウスの顔も持つ。
朝8:30、厨房ではお弁当づくりが始まる。一日20-30程度の数が手際よく作られていく。「作ってから私たちが車で運んだりもするので、2時間でテンポよく作る必要があるんです」という言葉のとおり、4つのコンロでは煮物や揚げ物が作られる。もちろん、ここでも島の食材が主役だ。
お弁当を始めたきっかけは、お年寄りのように移動が難しかったり、病院で働く方のようにお店に行けない方からの要望だという。決して交通手段が充実し、働き手が確保されている環境にない島が持つ課題をお弁当で解決している。
「一日一組貸し切りなので、自宅でくつろぐかのように島の時間を過ごしてほしい」と語るゲストハウスも、島でゆっくりと過ごしたいお客さんに早くも大人気。
畳の間とフローリングの部屋で過ごす時間は、自分だけの島時間。
満天の星空に包まれる夜を過ごした後には、
輝く朝日を浴びながら一日が始まる。これもまた、島に暮らす人にとっての日常。自然に囲まれて過ごす時間が、こんなにも清々しいものかと新しい感情に包まれる。
これからも島の『おばちゃん』として
今、倫世さんの人柄に惹かれて多くの仲間がここで働いている。
「お店を手伝ってくれる奈美さんには「『おばちゃん』と呼ばれているんですよ」とあっけらかんと笑う倫世さん。この4月からは新しいスタッフの女性も加わって、島採れのさくらんぼなどのスイーツが登場、季節のフルーツが鮮やかなタルトやシフォンケーキなどがお店を彩っている。
「野菜があまり好きじゃないという小さな子どもが、島ごはんプレートを残さずに食べてくれたのを見ると、やっぱり嬉しいですね。ウチで出しているのは家庭料理。それが伝わったってことは、その子たちも島が好きということですし」
焼火山から注がれる豊富なミネラルや島を囲む豊かな海が、島ならではの暮らしぶりをつくり育んできた地で、倫世さんは大切な仲間と共に宝物を受け継ぎ、次世代に渡す役割を担っている。
「島暮らしって、知恵の結晶に助けられつつ、そこに新たな知恵を加えながら生活すること。そんな生活の中で生まれた技術で、イワシを塩漬けにしたり、みりん干しにしたり、イカをさばいたり。お店から見た景色や料理の味が思い出になるように、多くの方に来てほしいですね」
そう語る倫世さんの目は、真っ直ぐ純粋で夜空の星のように輝き、何より優しいものだった。
【TAKUHI. -Cafe&Lifestyle-】
所在地:島根県隠岐郡西ノ島町美田1757
電話番号:08514-2-2363
営業時間
カフェ:ランチタイム11:30〜14:00(予約制)/カフェタイム14:00~16:30(L.O.16:00)
ゲストハウス:チェックイン15:00〜(要相談)/チェックアウト10:00
https://takuhi.jp/
instagram:takuhi.cafe_lifestyle
LINE:@TAKUHI.